日経新聞6/16のコラム「交遊抄」に、長島君(59法L)が寄稿しました。

日米の懸け橋
                                            長島昭久
「師事させてほしい」。1993年の夏、仕事を辞めて単身、訪れた米テネシー州ナッシ
ュビルのヴァンダービルト大学の一室。たどたどしい英語で講義を受けたいとお願いした相手はジェームズ・アワー教授。当時31歳の留学生の私を教授は快く受け入れてくれた。
教授は米海軍出身で、日本が中曽根政権、米国がレーガン政権のときの国防総省日本部長。当時の日米闘係を研究したいといって教授の指導を仰いだ。留学時は日本経済を脅威とみる風潮があったが、教授は親日の主張を繰り返していた。         
その理由が印象深い。「私は日本を擁護しているのではなく米国の国益にかなうから日米同盟の強化を言っているんだ」。政治家を目指していた私に日本の国益にかなうことは堂々と主張すればいいと教えてくれた。
今でも年に数回は会う。昨年のテネシー州の洪水で自らも被災した教授は東日本大震災の発生翌日に「日本は必ず復興する」とメールをくれた。
実は留学目的だった中曽根政権の日米外交のリポートはまとめられないまま。それでも  教授に学び、米国で最初に深い人間関係を教授と築けたからこそ、日米をつなぐ太平洋の懸け橋になりたいと願ったあのころの気持ちを今でも持ち続けているのだと思う。
                          (ながしま・あきひさ=衆院議員)


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