時代に即した“慶應らしい応援”を
戦後日本人の思想の変遷、教育制度の変革などの激動期に、応援指導部のあり方と応援方法をどう変えるかを考え実行した。東京六大学野球全盛期であった時代に、多士済々の仲間の総力で「応援の近代化」を進めた2年間であった。
昭和24年 | 春季 | 5位 | (早・明・立・法・慶・東) |
秋季 | 優勝 | (慶・明・早・法・東・立) | |
昭和25年 | 春季 | 3位 | (早・明・慶・立・法・東) |
秋季 | 5位 | (早・立・明・法・慶・東) |
1950年秋、慶早戦初のデコレーション
ラリー発案者高橋高見君と当時の幹部
第2回三田山上ラリー、徳永君の「若き血」 |
1949年春、塾歌を指揮する高橋高見君 |
慶早戦得点シーン |
1949年秋、稲穂を刈る鎌初登場 |
〈社会の主な出来事〉
●日本共産党幹部の公職追放指令
●金閣寺が放火により全焼
●東京−大阪間に特急「つばめ」「はと」が運転開始
●ベサメ・ムーチョ
●桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン
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