六大学野球と慶應の隆盛
日本中を沸かせた歴史に残る慶早6連戦(1960年秋)を応援・指導した応援指導部(団長:大塚欣司)である。その時の応援に、六大学初のバトンガール(高山藍子)が壇上を跳ね踊り、また慶應名物のトンガリ帽子を初登場させた。慶早6連戦に先駆ける春のラリーで、新応援歌「ファイト・ケイオー」が発表された。(作詞:泉 幸治君、公募、経済学部部3年生、作曲:服部正先生)。残念ながら、六大学野球の優勝の経験が1度もなかった。
昭和35年 | 春季 | 3位 | (法・早・慶・明・立・東) |
秋季 | 2位 | (早・慶・法・立・東・明) |
春季慶早戦。右上は秋季慶早戦
幹部集合写真 |
春、トンガリ帽子、登場 |
六大学初のバトンガール、高山藍子君 |
慶早6連戦第3戦 あわやリンゴ事件再来 |
〈社会の主な出来事〉
●全学連 国会突入(東大生 樺美智子さん死亡)
●NHK、民放4局 カラーテレビ本放送開始
●浅沼稲次郎社会党委員長刺殺
●ダッコちゃん 大流行
〈流行歌〉
●誰よりも君を愛す
●アカシアの雨が止む時
●潮来笠