『若き血』や『塾歌』が作られた際、披露の発表会がおこなわれた大講堂は現在の西校舎の位置にあった。
竣工は大正4年(1915)。2000名を収容する当時都内でも屈指のホールで、入学式、卒業式など大学の行事のほか音楽会や演劇の場としても活用され、大正11年(1922)にアインシュタイン博士が来日したときはこの大講堂で相対性理論についての講演会が催された。
関東大震災で一部破損したが、改修工事ののちは三階バルコニーに一対の容貌魁偉なユニコン像が配置され、キャンパスの塾生たちを日々見下ろしていた。
昭和20年(1945)5月の空襲で大講堂は惜しくも焼失したが、ユニコン像は瓦礫の中から復元されて現在中等部玄関の両脇に置かれている。